谷口からの贈り物
文章を書き始めた頃、たまに言われたのはこんなことだ。
「ほーちゃんて、たまーに客観的な文書を書いたと思えば、たまーにめっちゃ内輪の記事書くよね」
そう、それはそうだ。
そうしたいからそうしていたのだ。
私は自分のことがどうにもよくわからない。
だからくそまじめに文章を書こうとすると客観的なことしか書けないのだ。
じゃあその内輪の記事はなんで書くのかって?
そりゃあ、楽しいから。笑
書きながらみんなのこと思い出して楽しくてごきげんになるから書くのだ。
そんなごきげんな記事を久しぶりに書こう。
ーーー
あれはいつのことだったであろう。
今年も明けたばかりの頃、唐突にこんなメッセージが届いたのだ。
……最高かよ。
優しい……!
「他に食べたいものがあれば教えてくださいね」
ここに天使感100ポイントである。
何食べたいかな〜〜なんて思ってると続けざまにメッセージがきた。
ここで私は少し我に帰る。
年賀状を送らせていただきたいとは?
ズボラな私からすると結構おどろきの内容だったが、最近ではめっきり年賀状を受け取る枚数も減り、小学生の時には楽しみにしていた年賀状のお年玉確認もめっきりしていない。
ちょっと嬉しい気持ちになって「ぜひ!」と返した。
誰かからのお便りが来るとわかって待つ時間って、いいものだ。
仕事帰りにいつもちょっとわくっとしながらポストを覗く。
そんなある日のこと、不在票が入っていた。
送り主:谷口 ◯◯ 様
お分りいただけただろうか。
あいつが送ると言っていたのは、年賀状。
私が手に持っているのは、不在票。
そんな馬鹿でかい年賀状ってあるだろうか。
ここでWikipediaを見てみよう。
検索結果
「郵便葉書やカード」
谷口はここで日本人の固定観念を打ち砕くつもりなのである。
すでに私の心は不穏な気配に包まれ始めていた。
とはいえ、人からの贈り物だ。
ないがしろにすることができない。
再配達設定をして次の日がきた。
ピンポーーーン
きた!
レター……パック……?
書類……?
ここで私の心境を挿入歌で表現したいと思う。
オペラ座の怪人(The Phantom of the Opera)
そんなことってあるだろうか。
年賀状だぞ?
困惑しながら封を開く。
バッッサアーーー
もう……
もう、年賀状どこだよ。
あいつが送るって言ってた年賀状どこやねん。
ないやん。
あっ。
あった。
(はい、ここでオペラ座止めて)
軽い気持ちで(笑) じゃねえよ。
どーーーん、と引いたわ。
しかもよく見ていくと、こんなものがあった。
お分りいただけたであろうか?
中国語やん!
読めないから!!!
土地勘ないし!!!!!
なんやねん! なんやねん谷口!!!!
「ここら辺に住んでます♡」じゃねえよ!!!!!
かくして私は多大な不安とともに博多へ旅立ったのであった。
ーーー
元はと言えば、博多で仕事があるからきたのだ。
今までと違うのは、本来の目的以外に会ってみたい人たちがいたことだ。
今まで博多にしいて会いたい人などいなかった。
でも、ふとしたきっかけで知り合った。
言葉が大好きな人たち。
なんとなく知ってはいたが、会ったことはない人たち。
どんな人だろうなあ〜って思っていた。
ずっと会ってみたいなあ〜って思ってた。
そんな人たちに初めて会える……!
私はかなり緊張して待ち合わせ場所に少し早くついた。
早く着いた。
来ねえ。
緊張する……。
ビールのも。
私は勝手にパーティーを開始した。
カランカランカラン!!!!
くそうるせえ音ともに、くそごきげんな雰囲気をまとったお姉さん(市岡)がガチャガチャガチャガチャがはいってきた。
ついに……!!!
続けざまに怪人谷口、激昂永尾が登場する。
谷口については長らくご説明したので怪人具合がお分りいただけるであろうが、永尾の激昂エピソードにつては次回持ち越しにする。ツボったから。
ちなみに私は、永尾がいたく話しやすく、私のごきげんデイの大きな要因になったことをここでひっそり伝えておきたい。
この後、愉快な博多散歩が始まったわけだが、一つ言っておきたい。
私は青春18切符で45都道府県まで制覇したくらいの旅好きで、最近は海外にも積極的に手を出している。
でも、何と言っても、その土地のことを大好きな地元の人に案内してもらえるほど楽しい旅はないのだ。
空気感とか、食べ物とか、お酒とか、ぜーーんぶ美味しい、楽しい。
その夜、憧れの今村姉さんにも会って、なんかすげえうまい感じで? 美声で? なんか? 闇がある? メンヘラ? 逆に根アカ? な歌とか歌われて? すげえ楽しかった。
ねえ聞いて?
すげえ、楽しかった!!!
その日はすっごい幸せな気持ちで宿に帰ったよ。
この頃から私のBGMはこんなんなってた。オペラ座どこいった。
ここで勝手に自分の話をさせてもらうと、2017年ってのはとってもいろんなことがあった年で、仕事もガラッと変わったし、自分自身のことも全然変わって、あまりにもいろんなことがあったから書きたいことも伝えたいこともなくなってしまってさ。
思えばずっと、それこそ幼稚園生くらいから文章は書いていて、でもそれまで書いていた文章は誰に見せるためでもなくて。
私は最初に言った通り、私は自分がよくわからない人だから、長い文章を書くときも誰かに話しかけるようにしか書けない。
その話し相手がふっといなくなって、書けなくなってしまった。
なんとなくいろんなことにやる気がなくなっていて、そんな時にみんなにあって、本当に久しぶりに腹筋が痛くなるくらい笑って。
ほんとに楽しかったんだ〜
なんかね、私が好きな映画評を書く田中泰延さんの記事を読んだ時に、まさにっ! って思ったんだけど、私にとってかっこいい大人って「いつもたいらにごきげんな人」なんだ。
この日出会った博多のみんなはとってもごきげんで、たくさん私にも元気をくれたからまじでかっこいいなー!!! って思ったんだよ。
日常はどんな人だって嫌なこともイライラすることもあるから、目の前の人を大切にして、いまを楽しんで、いつもふざけてられる人は、本当にすてきだ。
そんなこんなで次の日、仕事の大一番を前にした私は、市岡姉さんの働く素敵なホテルでとっても元気をもらったのでした。
んで、翌日、無事、大きな仕事を終えた私は、サクッと天候不良で福岡に閉じ込められ、図らずもラーメンともつ鍋を楽しむことになり、この時すでにやっぱり谷口は魔王様……? と思っていたのが確信に近づいた。
翌る日。
福岡は抜けるような青空。
でも、大雪で羽田が死んでしまって飛行機が飛ばない。
まじかよ!
今日、出社なんだけど!!!
ってな感じで最初焦ってたけど、もう諦めた。
私がビールを片手に悠々と江戸川乱歩を読み始める。周りのオヤジに動揺が走る。
「あいつは会社に行かないって、決めたんだ」と。
そう。
私は、決めた。
今日は最高にハッピーに過ごしてやろうじゃん、と。
でも、乗りたかったのか、乗りたくなかったのかわからなかった飛行機は来てしまう。
待ちくたびれていたはずなのに、何回も福岡空港から飛行機に乗ったこともあるのに、切なくなっちゃったよ。
あああああ〜〜〜
また帰ってきたいな。
Asian Kung Fu Generation. Hold me Tigth Sub Español
いいとこだな、福岡。
抱きしめたいぜ、福岡!
抱きしめてくれ、福岡!
そういえばね、こんなこともあったんだよ。
急に福岡に閉じ込められちゃったもんだから、急遽、もともと泊まる予定だった先輩たちの飲み会に出てさ、もうめんどくさくなってタクシーで宿まで行ったの。急いでとったもんだから、駅からも遠くてね。
その日、私はスーツだったからタクシーの運転手さんに「仕事ですか?」と聞かれたのですよ。
私は答える。
「はい、仕事で」
「もしかして、東京からですか?」
「ええ、そうですよ」
「そうかなあ、と思いました。大雪のニュースがやっていたので」
「そうなんです、困りました。でも、大好きになった博多に余計に一泊できてよかったです」
「そうですか? 僕は東京が恋しいなあ」
「東京に住まれていたんですか?」
「生まれは国立のあたりで結婚してこっちに住んだんですよ」
「でも、博多の人はやさしいし、食べ物はおいしいし、最高じゃないですか?」
「うーん、でも、学生の頃過ごした早稲田のあたりとか、なつかしいなあ」
「えっ、運転手さんも早稲田なんですか!? 奇遇です。わたしも早稲田なんです!」
「そうですか! すごいご縁ですねえ」
「洋食屋さんのメルシーはまだあって、雀荘の早苗は潰れちゃいました」
「なつかしいなあ……。帰ってみたいなあ」
「ほら、でも校歌にあるじゃないですか。集まり散じて人は変われど」
「仰ぐは同じき希望の光」
「そうですよ。だから、場所は関係ないのかもしれません」
「そうですねえ」
「この土日も、今日の仕事も、とってもいい日だったんです。そんないい日の最後に運転手さんに会えて本当によかった」
「僕もあなたに会えてとてもよかったです」
「それじゃ」
「「おやすみなさい」」
ふしぎな街。博多。
あったかいまち。
ーーー
ふんわりとした余韻を抱えながら東京に帰った私は、ようやく金曜日になって洗濯をしなきゃと荷ほどきをする。
あっ。
そうだ、これももらってたんだ。
永井ちゃんのCD。
なんとなく、CD開けるってのが久しぶりでわくわく開けて、歌詞カードをめくった。
ひとしきり読んで、表紙と裏表紙の文字に気がついて、なんか泣いちゃったよ。
なんだよ谷口、時間差かよ。
いくら魔王だからって卑怯だぞ。
あーあ。マークパンサーの歌詞で泣くなんて損したぜ。
ほんと、いい歌。
これからもまた聴きたい。
ほんと、元気になったよ。ありがとう!
また会う日まで!