5月3日に思っていたこと

まずはこの記事を見てくれている人にごめんなさいと言いたいです。

28才というのは、毎日いろんなことが起きて、自信が生まれては、消えて、自分の言葉に自信が持てなくなります。

だから、あの時書いた言葉は、ちゃんと自分の大きさに合っているだろうか、気持ちと言葉の大きさは合っているだろうかと不安になって、記事を書いては消しました。

 

だいたい、手紙も、メールもそうです。

夜中に書いたものは、大抵、朝になると頭を抱えてゴミ箱に捨てるか、赤面して消去するものと相場は決まっているものです。

 

ですが、3ヶ月くらい前に、実家のこの椅子に座って書いた、ずっと書き溜めているノートに書いてある文章は、少し、時間がたったいま読んでも、少し気にいることができました。

 

だから、今日は昼寝をしてしまってもう少し起きていそうな気もするし、気分転換に、ここに書き写しておこうと思いました。

 

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2018.5.3 ①

 

久しぶりにこのノートを書こうとしたら

ペンがなかった

ペンはたくさんあるのに黒のボールペンがなかった

では、と思ってえんぴつを探して

もうインクがなくなって書けなくなった、たくさんのペンを捨てた

 

何年振りかに鉛筆を削る

スッとのびて、書くためだけにそこにある鉛筆は

気持ちがいいものだと思った

 

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2018.5.3 ②

 

数週間振りに実家に来ると

木がのびていた

 

5月だから

新芽がたくさん

 

枝切り鋏を探す

わたしが見つけられないでいると

じーちゃんが出てきた

どうも見つからないな、と思っていると

どこからともなく、じーちゃんが持ってきた

 

じーちゃんは、やはりじーちゃんだ

 

そこからザクザク枝を切る

 

切っているうちに

なるほど、下をスッキリさせて

中の枝を間引くと格好が良くなると気付く

 

ザクザク ザクザク

 

新芽を切らないと花が咲かないから

つげの木はいいから、そこの椿を切ってほしいと

ばーちゃんが言い

私が切るのを、気付けばおかっての前に座り、じーちゃんとばーちゃんがふかふかと並んで見ている

 

ずっとハサミを握っていたものだから、上腕がだるい

 

じーちゃんとばーちゃんが、器用だなあ、と感心している

 

曇りだからと、安心していたら

木を全部切り終えて、風呂を上がると腕が真っ赤だった

 

疲れて昼寝をして、

いま、ビールを飲みながらこれを書いている

腕が熱を持っている

 

何本目かの木を切っている時

土地が広いというのは、

その分手がかかって難儀なものだと思った

 

人生を快適に過ごすための家を、手入れする時間に

一体どのくらいの時間を費やすのだろうと思った

 

マンションであれば簡単だ

3部屋ぐらいで掃除は終わり

後の時間は自由時間

 

木を切っていると

その切り口から水が飛んで来ることがある

 

ついさっきまでそこに、水がいきいきと通っていた

 

水が頬に飛んで来る

 

生き物は手がかかると思った

 

けれども、

この時間をそんなに疎んではいないのだ

 

ずっとこの繰り返しの中で

何かを考えてきた

 

庭の表情が、さっぱりした

 

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友達が言っていた「自分の行動と、言葉の重さがいつも同じようになるようにしたい」という言葉を、時々思い出し、その友達は本当に素晴らしいなあ、と思います。

 

私は文化人類学や生物学、そして歴史や社会学が好きです。

 

今は森達也さんの「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」を読んでいます。

 

そういった先輩たちの様々な本を読んでいると、人間は攻撃性と引き換えに、共感力や協力して生きて行くことを優先し、他者の感情を理解したり、自分だけを優先しないという「知性」と「理性」を発達して来たのだと、なんとなく分かったような気になることができます。

 

人間は「言語」という他の生物から見ても、特異な機能を伸ばしました。

 

少なくとも「言語」「言葉」を発信しようと思う人は、なぜ人類、すなわちラミダス猿人やホモ・サピエンスが、本来生存競争に不可欠な、利己的な発想を捨て、協調や協力、そしてそれに必要な言語を発達させようとしたのか、それを勉強しなくてもいい、でも、せめて思いをはせる必要があると思います。

 

言葉の力は強力です。

人の心に強く影響するし、悪いエネルギーほど、一瞬で人に与える力は大きいと思います。

 

言葉はその人に起きた嫌なことを、恨みや怒りとして発信することもできるけれど、

その先で、もっとポジティブな言葉に変える事もできると思うのです。

 

 

木を切ったり、日焼けをしたりしながら、そんな事も思ったりしたのです。