美味しい干し柿、ぼろぼろの本

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ほんとうは、今書くべきことはもっとたくさんあるのかもしれない。

いや、あるのだ。

棚上げにしすぎて、干し柿だったらいい食べごろだ、というくらいに熟成されてしまったやつ。

 

しかし、今日もそいつらを美味しく熟成させるままにして、すきなことを、すきなだけすることとしよう。

 

 

うちの本棚には、数冊に1冊、ぼろぼろの本がある。

 

 

小さい頃は、なかなか自分のすきなようには本を手に入れられないから、本をとても大切にしていた。

それに、小さい子に向けた本は絵や装丁が、たからものみたいにきれいな本が多いのだ。

 

しかし、中学生、高校生、本を自分の気まぐれに買えるようになってから、本をだんだん自分のものにすることがたのしくなった。本をどんどん「使って」自分のものにするのだ。

 

知らない言葉に丸をつけたり、気に入ったところを折ったり、そうしているうちに、本は気まぐれな私のきもちそのままの見た目になっていった。

それに、分厚い本は私がすてきな午後に誤って、まるでお昼寝のためにしつらえたような木陰を見つけ、緊急に寝なければいけない時の枕にもなる。

 

そんないい感じにくたびれたおじさんみたいな本たちに紛れて(私はあまりにもピチピチでツヤツヤのおじさんは信用したくない。おばさんもそうだ。適度にシワがあるくらいでちょうどいい。)、外で暗くなるまで遊んできたちいさな男の子みたいな奴が混じってる。

 

 

 

 

文明の進歩は目覚ましい。

うちのじいさんが子供の頃には家族総出で、手で田植えをしていたのに、じいさんがおじさんになる頃には、手押しの機械で田植えをするようになった。じいさんが若めのじいさんになる頃には、車みたいに乗って植えられる田植え機ができた。

 

じいさんが子供の頃は日本という国が貧しかったから、一つの田んぼで一粒でもたくさん、と思って田植えをした。四隅の方まで隅々と。

手押しの機械になっても、乗れるタイプの田植え機になっても、その頃の気持ちは消えないのだろう。

今の機械の効率じゃ、ずっと1枚の田んぼを荒く植えて、枚数を増やした方が効率的なのに、割と最近までばあちゃんは、機械の入れない隅っこを手で植えていた。

 

一つの田んぼで、一粒でもたくさん。かぞくで食べるたいせつなお米ですからね。

 

ばあちゃんのその非効率を私は現代っ子の代表として「非効率だ」と笑っていて、ばあちゃんは私にそう言われるたびに「もう癖だから仕方ないんだもの」と拗ねていた。

 

「はじっこがすかすかだとね、なんかそわそわしちゃう」

 

機械の効率はますます上がり、とうとう何ヘクタールにも及ぶ田植えは、家族が二人いればできるようになってしまった。

 

一人は田植機を運転し、一人は田んぼの外側で時折なえ箱をわたす。

苗箱を渡す方は、もう一人が帰ってくるまで暇なのだ。

 

私の家では、私の父が運転し、私が渡す係であった。

私は車の免許を取得して、一層効率的に父を助けることができるようになった。

 

小学生の頃、いちいち苗箱を足で運ばなくてはならなかったから、私には休む間もなかった。

時々疲れてあぜ道に寝転んで空を見たりした。

 

最近では必要なところまで軽トラで運ぶからあっという間だ。

 

父が戻ってくるまで暇を持て余して、軽トラのドアを半ドアにして本を読むようになった。

 

5月の風に吹かれながら、陽の光で読む読書は素敵だ。

 

もう少し前までは、父の田植機に並行して、機械では植えられない場所を手で植えるじいちゃんとばあちゃんがひっきりなしに話しかけてきて、全然、ページが進まなかった。

 

今ではじいちゃんもばあちゃんも年をとり、めっきり農作業ができなくなった。

私の積読はぐんぐん消費されていく。

 

 

 

 

 

今日も日差しが強い。

水鳥がご飯を食べに遊びにきている。

田植えのためにうすく水を張った田んぼは、風でさざめいて、きらきらしている。

 

 

 

 

びゅうっと耳元で、5月には珍しい強い風が吹いた。

私は驚いて顔を上げる。

 

父が黙々と植えていた。

 

 

「非効率」がない田んぼは少し寂しかった。

 

 

 

家に帰るとその日読み終えた本を本棚に置いた。

 

ぼろぼろの本の割合が昔よりも増えた。

 

 

「今日も暑かったねえ」

 

「うん、お疲れさまでした」

 

じいちゃんが夕飯を食べながら私にお茶を渡す。

 

「暑くて海にでも入りたいくらいだったよ」

 

「じいちゃんが子供の頃はうちの前の川に飛び込んだものだけど」

 

「そんなに綺麗だったんだ?」

 

「ウンときれいだったよ。一番深いとこの底が見えるくらい」

 

「昔は良かったんだねえ」

 

「そんなことはないよ。なにごととも、時代時代で変わっていきますから」

 

うちのじいちゃんは昔はよかった、とは言わない。

 

「あなたたちには、あなたたちの時代のいいことがあるでしょう」と目元をシワシワにするだけだ。

 

 

私たちの時代の、私たちが作る「いいこと」ってなんでしょうか。

 

私にはまだそれがわかりません。

 

毎日考えます。

 

しかし、今日ひとつ、すてきな言葉をもらいました。

 

「人生は、本当はみんな手作りなんです」

 

 

この言葉はきっと、これからも自分を支えてくれるような気がします。

 

 

自分の大きさなんてたかが知れているけれど、新しい出会いを恐れずに、その出会いの反響で自分を測り、理解しながら、そして、今まで、出会った人に向き合いながら、長い目で手作りしていこうと思います。

 

もうそろそろ、梅雨が来ます。

 

梅雨が来たら、あっという間に夏です。

 

夏にエネルギーを爆発させるために、最後の最後の助走をつけようと思います。