平成生まれの大人になりかた
むかしむかし、世界には大きな壁がありました。
その壁は大きく、その壁の向こう側に行ったり、こちら側に行ったり、そういうことを気軽にできないほどです。
一度壁の向こうに行ってしまうと、二度と戻ってこれないこともよくありました。
だから、多くの人は、壁を越えようとせず、壁に石ころや、卵なんかを投げつけ、壁と戦っているような気になれれば満足でした。
ときには、血気盛んな若者が、力いっぱい壁にぶつかる、なんてこともありましたが、彼も大人になるにつれ、壁にぶつかるよりも、自分の住む社会に馴染むことで忙しくなりました。
村上春樹は、みんながその壁に、卵や何かを投げつけているのを随分眺めた後、「ぼくは卵の側でありたい」と言いました。
村上春樹の小説はすきですか。
わたしは好きです。
ハルキストか、と言われると首を傾げますが、長編小説は全て持っていますし、「もしぼくらの言葉がウイスキーであったなら」のような紀行文をラフロイグ片手に読んだりもしました。
私は元々、好きな作家を作家買いする傾向があり、森博嗣や恩田陸、辻村深月、その他何人かの作家もほとんどすべての本を持っていると思います。
だから、ハルキスト、というよりは、村上春樹は、すきな小説家の1人です。
ただ、私の読書の仕方を決定的に変えた作家は村上春樹でもあります。
小学生までドリトル先生シリーズやシャーロック・ホームズ、江戸川乱歩、ハリーポッターを、夢のような異世界への扉として、とても好んでいました。宮部みゆきなども大変すきでした。
ページの先で私は何処へだっていくことができたのです。
私が、あの本を手に取ったのはいつのことだったでしょう。
おそらく、中学校の1,2年の頃だったと思います。
その本は「海辺のカフカ」といいました。
その本は、私にとって、革命とも言えるものでした。
感情や思考を、ある意味無機質な、淡々とした表現で連ねる。
世界はメタファーだ、なんて、解釈に無限の可能性があります。
ふつう、「ぼく」は壁を抜けませんが、村上春樹の描く主人公は、壁を抜けるのです。
「内」と「外」
これは、彼の一つ、普遍のテーマであると思います。
海辺のカフカの表現がすこし大人びていたからでしょうか。
クラシックなどわからないのに、躍起になって聞こうとしてみるような背伸びの仕方、でも、自然な興味で、わたしは初めて本について調べる、ということをしました。
まずは「メタファー」などの言葉です。
メタファーは隠喩という意味でした。
次に「カフカ」
わたしはフランツ・カフカの作品を何冊か読みました。
変身、などはとても興味深い話でした。
だっていきなり主人公が虫になってしまうのですから。
いくつかの作品を読みながら、海辺にいるカフカはなにをかんがえているのだろう、そんなことを考えました。
わたしは海辺のカフカを皮切りに、村上春樹の作品を次々読んでいきました。
いまでも、ハードボイルドワンダーランドなどはだいすきです。
一方で、ノルウェーの森などはあまりすきになれませんでした。なぜでしょうか、それは今でも謎ですが。
大学生になった頃、1Q84が出ました。
わたしは、多崎つくるや1Q84について、かつてのように熱狂的に読めませんでした。
私の大学での恩師も、村上春樹がすきで、よく研究室でそれぞれの感想を言い合ったりしていました。
先生はあるとき言ったのです。
「エルサレムの受賞スピーチで、村上春樹は、『もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ』といっていましたね。
そして、ぼくは、1Q84を読みました。
おそらく、彼は何かひとつ、答えを見つけたのではないでしょうか。答え、とまではいかなくとも、ひとまずなにか、見つけたのでしょう」
なにかひとつ、答えを見つけた。
先生のことばの意味をゆっくり考えたくて、私はそれ以上質問しませんでした。
わたしはしばらくして、宇野常寛さんの「リトルピープルの時代」という本を友人から貸してもらうことになります。
これは1Q84について書かれた本です。
この本では、ジョージ・オーウェルの「1984」を一つの切り口に語られています。
しかし、視点がたくさんあるので、私なんかの拙いまとめではなく、ぜひ読んで頂きたいとも思います。
さて、宇野さんが言うところによれば、かつて、ジョージ・オーウェルの言うところのビッグ・ブラザー、すなわち社会主義におけるリーダーがいました。
世界は民主主義、社会主義に二分されていました。
しかし、ベルリンの壁の崩壊の頃を境として、世界は明確な二項対立ではなくなっていきます。
もちろん、世界にはまだまだたくさんの、小さな渓谷、崖のような狭間があります。
でも、分かりやすい「壁」はなくなった。
世界が二分されていた頃、その壁は、壁の間近にいなくとも、人々の心に影響を与えることがありました。
日本で言えば、学生運動です。
学生たちは、盛んにマルクスなどを論じました。
その学生達は、あっという間に高度経済成長の波に飲まれ、モーレツサラリーマンとして、自然と資本主義に馴染んでいくことになったのですが…
かれらは、何を論じていたのでしょうか。
彼らの多くは、10代や20代でした。
「自分」について、社会と照らし合わせて、初めてよく考えてみる年代でしょう。
そして、そこに圧倒的な壁がある。
その壁は一つですが、その壁のどちら側に立つかで、壁のどちらかが表となり、裏となります。
そして、壁の裏は、言い換えれば、悪。敵となり得ます。
彼らは、自分というものを、相対的に捉えようとしました。
自分が思う「悪」に対する自分の正義、それがぼくの考え方、生き方だと。
しかし、彼らの熱狂的な時代は、先ほども言ったように、ベルリンの壁崩壊の頃から次第に収束していきます。
さて、次の時代、彼らと同じ世代の若者はどうしたのでしょうか。
彼らは「自分さがし」をしました。
世界で、ヒッピーなどが流行ったのもこの頃でしょう。
インドブームもありました。
自分さがし、の基本的なスタンスは「本当の自分を探す」ことですから、まず絶対的な自分、があることが前提です。
しかし、それを探すのは、なかなか難しいことです。
私はそう思います。
私は自分の環境や出会った人々に影響を受けます。
自分の根っこのようなものはあるかもしれません。
しかし、そのような出会いによって変化した、幹や葉を抜きに、ほんとうの自分など語れないでしょう。
そしてやはり、この潮流は、また、収束を迎えていきます。
やっとわたしたちの時代に追いついてきました。
わたしたちの時代は情報過多、などと言われます。
インターネットで世界中の情報にアクセスできるからです。
情報を読み流すことに慣れて、受け身だ、なんて言われます。
しかし、そうでしょうか。
私は小さな相対の時代にうつってきたのではないかと思います。
このことについて、随分長い間、どういうことか自分の中で言葉になりませんでした。
しかし、私は、ある日友人と食事をしながら、気がついたのです。
その友人の選択が、そうなのではないかと。
その友人の名前はミサキ、と言いました。
彼女は大学のサークルで出会ったのですが、誰ともそつなく過ごし、みんなのまとめ役でもありました。
出会った頃、わたしはまだ18歳でした。
ミサキのことは好きでしたが、率先してリーダー役をやるとなると恥ずかしく、すこし斜に構えている自分がいました。
そんなミサキは優等生でありながら、一緒にふざけることもできる不思議な友人として、幾年かを共に過ごすことになります。
斜に構えていた自分がいたからでしょうか、幾度となくふざけあうことはできても、出会って8年目に至るまで、真面目な話などしたことはありませんでした。
彼女は社会人になり、遠くに転勤となりました。
ある時、彼女が東京に帰ってくるというので、二人で食事に行くことになったのです。
二人で食事をするなんて、初めてです。
ずーっと遊び仲間だったのに、だいぶ大人になってから、ご飯を食べることになりました。
なんてことはない会話をしていました。
美味しい料理と美味しい日本酒を肴に話す、その空気が二人の関係を親密にしたのでしょうか、わたしは思いがけず、彼女に聞いてしまったのです。
「ミサキはいつもしっかりしているけど、昔からそうだったの?」と。
ミサキは「ふふふ」と笑って答えました。
「本当は、君に似ている人間だったと思う。でも、ある時、変わったの」と言いました。
ミサキは日本酒を淡々と飲みながら、同じ気配でひっそりと話してくれました。
あれはわたしが中学生のことだったかな。
わたしの学校は中高一貫の女子校でね。
わたしも中学生の時には、すこし不真面目、そんな人がかっこいいと思ってた。
けどね、ある時、中学校の親友が転校してしまったの。
わたしは、そんなに広く浅い友人関係ではなかったから、急に孤独になってしまった。
もちろん、本当の一人ではないのだけど、心から気を許せる友人がいなくなってしまった。
それは13歳やそこらのわたしとしては大きな問題だった。
あの頃の年代って、ちょっと不真面目でワルぶっている方がかっこいいという風潮があるじゃない?
わたしの学年はそれが顕著で、生徒会選挙をしても誰も立候補をしなかった。
なぜかわからないけど、わたしはそれを見て、立候補しなきゃと思ったの。
そして、気付いたら、生徒会に入り、翌年には生徒会長になっていた。
わたしの学校、頭のいい子が多くてさ、わたしなんか、勉強が得意ではない方だったから、生徒会長になった途端、陰口を言われたりした。
内申点が欲しくて、生徒会長になったんじゃないか、とかね。
でも、わたし、ある日思ったの。
「普通で、何が悪い」
「真面目で、何が悪い」ってね。
かつて、わたしも斜に構えてた。
でもね、自分なりに学校生活をもっと楽しくしたい、みんなにも楽しんでもらいたいと思って、真面目に振る舞うのって何が悪いの?
わたしは、わたしなりに自分はこれでいいんだ、と思ったの。
それだけ。
そこから、今のようなわたしになったのかもしれないね、彼女はそう言い、日本酒をぐびり、と美味しそうに飲みました。
わたしは、それを聞いて思ったのです。
ああ、これが私たちの世代の、自分に対するアプローチなのではないかと。
私たちは、昔よりも容易にその壁を乗り越えることができます。
例えば、ミサキならば斜に構える自分と、真面目な自分です。
彼女にはもともと両面があります。
しかし、彼女は、彼女の中で相対的に自分を見て、真面目なわたし、それもいい、と「なりたいわたし」を選び取ったのです。
人は好きな人に対して、自分を良く見せようとします。
もしも、本質的に亭主関白な男性がいたとして、好きな女性に、最初はとても紳士的に接するでしょう。
彼らが幸運にも、付き合うことになったとして、彼が彼女を大好きになった時、彼は選択するはずです。
素の自分、しかし、彼女が好きになってくれた自分とは少し離れた自分。
彼女が好きになってくれた、紳士な自分。
彼は、もしかすると、彼女を失う可能性を高めるよりは、本来の自分とは少し離れた自分になりたいと願うかもしれません。
私たちは、いろんな情報にアクセスできます。
それはすなわち、いろんな人生のモデルケースをトレースできるようになったということでもあります。
さらにそういうツールをうまく使えば、実際に「なりたい」と思える誰かに会いに行くこともできるようになりました。
だからこそ、本当の自分より、「こうなりたい自分」を想定しやすくなったのです。
本当の自分、つまり絶対的な自分より、なりたい自分、つまり相対的な自分を見つけて、それに近付こうとする、それが我々世代の大人へのアプローチなのかもしれません。
わたしは、毎日いろんな人に会います。
いろんな人と話します。
わたしは、いったい、どこに行きたいのでしょうか。
小さな相対の世界で、小さな反証を続けながら、小さく歩を進めたい、進められたらいいな、そう思いました。