文章を書くコツは、ニュートンの万有引力の発見と同じである
「ひかれあっていると思っていたけど、どうやら違うみたい。私の方があなたにひかれてたのね」
あれは2月の終わりだった。
春の気配がそこかしこに溢れて、ひときわ強い風が私たちのコートの襟を叩くたびに、一歩一歩春が近づいて来ることを感じるような日だった。
外はしとしととまばらな雨が降り、3月が目の前に迫っている今日は、着ている服と気温がちぐはぐなような暖かさだ。
でも、この湿度も、この風も嫌いじゃない。
長い冬が終わり、今にも爆発しようとしているエネルギーを街のそこかしこに感じる。
私は外の雨の気配を感じながら、教室の教壇の上に佇む身長は180cmもあろうかという、いかにも若い時にはスポーツをしていたとわかる肩幅の広い、端正な横顔の男を見つめていた。
通いなれたこの中学校も、来月には卒業だ。
この学校で、私はたくさんのことを学んだ。
私の学びは、幼かったあの頃からつながっていたのだ。
小さい頃、宇宙飛行士になりたかった。
両親は幼い私に、よく図鑑を買ってくれた。
恐竜図鑑、昆虫図鑑、魚図鑑、植物図鑑、宇宙の図鑑。
私はよく外で遊ぶ子供だったから、外でいろんなものに遭遇した。
バッタ、トンボ、カブトムシ、ピーマン、トマト、ジャガイモなどなど。
こういうものは大体、畑仕事をしている祖母にくっついて歩いている時に、「これなーに?」、「こっちは?」と尋ねて覚えた。また、庭で機械いじりをしている祖父の横でジッと祖父の手元を見てる時に「カナヅチとって」、「はーい」、「あっ、スパナの17取って」、「これ?」、「いや、メガネみたいになってない方」、「こっち?」、「うん」などと言いながら様々な道具の名前を覚えたりもした。
でも、時々、名前を知らないものにも出会った。その名前はばーちゃんやじーちゃんも知らなかった。
それはただの石ころであったりした。石によっては勢いよくコンクリートに叩きつけるとパリンと半分に割れる黒くてツヤツヤしたものもあったし、コンクリートに強く押しつけるように引っ張ると白く絵が描けるものもあった。白い線が引ける石ころでけんけんぱの丸をかいた。丸、丸、丸、丸、丸をたくさん書きながら、なんで丸を描ける石と描けない石があるんだろうと思った。
そんな時はそれを家に持ち帰って、図鑑を眺めた。図鑑には写真と簡単な特徴が書いてある。
そうかあ、パリンと割れる石には黒曜石というのがあるんだ。白い線が引ける奴は石灰岩かな? 違うかな……。図鑑には大人も知らないような世界について、写真付きでとてもわかりやすく書いてあった。
小学校に入る頃には、小学校1年生で教わることのほとんどを自然とじーちゃん、ばーちゃんに教えてもらっていたように思う。
わからないことがあって、それをばーちゃんに聞く。見たことがないものに出会って、それを図鑑で調べる。それは、ただジッと座って先生の話を聞くよりもずっと、いま、その時の私の興味に直結していて、とても素晴らしい学びの時間だった。
正月には家族みんなで百人一首をした。
百人一首で負けたらお年玉をあげないよ、なんてじーちゃんが冗談をいうものだから幼い私は真に受けてムキになって勝とうとした。
歌を詠むのはばーちゃんかお母さんの役目だ。二人ははなから「どうせ勝てないわよ~」とじーちゃんと私のやたら白熱した争いを尻目におせちをつまんだりなどして、いつも適当に参加している。
母が読み上げる。
「じゃあ次ね、いにしえの~」
「はいっ!」
私がとる。
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に 匂ひぬるかな
私が好きな歌だった。
昔じーちゃんに「この伊勢大輔って誰?」と尋ねたことがある。
じーちゃんは遊ぶことにかけて、とても物知りだった。
これはね、昔、平安時代に平安京というのがあって、そこは都というとても賑やかな街でした。そこには藤原道長というえらいおじさんがいて、時々こんな風にみんなで歌を詠みあって遊んだりしていました。その中でもとびきり歌の上手いお姉さんがいてその人は紫式部と言いました。紫式部は歌がとても上手いから、ある歌を詠む会の時に、桜を受け取って、その桜について何か歌ってくださいと頼まれていました。だけど、紫式部は私の他にも上手な人がいますよ、と言って自分よりも若い伊勢大輔にその役を譲ってあげました。その時の伊勢大輔という人がこの歌を詠んだ人だよ。
「ふーん。じゃあこれ、なんて意味?」
平安京よりもさらに昔、平城京っていう都があってね。そこにはとても八重桜が有名なところがありました。その桜をもらったから、「昔、奈良の都で咲いていた桜が、今は京都の宮中で綺麗に咲いていますよ」と歌ったんだよ。今の京都の賑やかさとか、その時にいた天皇を褒めようとしたんだね。
「へえ~。そうなんだ。都って一個しか作っちゃダメなの?」
うん。だいたい、一個だね。
「そっかあ、じゃあ奈良にあった都の方は少し寂しくなっちゃうね」
そうだね、少し寂しくなっちゃったかもしれないね。
じーちゃんの話を聞いたら少しだけ切ないような気持ちになった。
その時はなんでそういう気持ちになったのか上手く言えなかったけど、たぶん、とっても賑やかだった奈良の都はなくなっちゃって、今は京都に新しい都があって、でも、奈良の桜の綺麗なところはそのあともずっと春が来るたびに桜が綺麗だったろうし、そんな風景を想像して、じーちゃんの言っていたとても賑やかな京都の都っていう風景と比べて少し切なくなったのだろう。
こういう遊びから、言葉には響きがあること、リズムがあること、日本の四季がとても刹那的で、だからじーんと心に響くこともあるのだという季節の捉え方を学んだ。その時は上手く言葉にならなかったけど、あの時に感じたきもちが今の感性の元になっているような気がする。
私は毎日いろんな遊びをしながら、恐竜時代に行ってみたり、花の名前を覚えたり、漫画を読みながら、ドラえもんと一緒にエジプトに行ったりもした。
そんな時、出会ったのが宇宙の本だった。
ある時、お風呂に入って、歯を磨いて、いそいそと布団に潜り込もうとしていると、母から「ほーちゃん、今日は、お月様綺麗だよ」と言われた。
私は「みたい!」と言って母とベランダに出た。
私の実家は家の目の前が湖である。私は海も大好きだけれども、湖だけが持つ吸い込まれそうにしんとした気配も好きだ。夜の湖はとても静かだ。だけど、圧倒的な気配がある。静かだけど、存在感がないのではない。生き物のざわざわとしたエネルギーがピンと張りつめているような静けさだ。
その日の月は満月だった。月は、湖面に白い光の筋を映して、静かに浮かんでいた。
「まんまるだねえ」
「そうだねえ」
「月って大きいのかな?」
「うーん、お母さんにはよくわからないけど、月ってずうーっと遠くにあるんだって。ずっと遠くにあるのに、うさぎさんが見えるくらい大きく見えるんだから、大きいだろうねえ」
「ふーん。ずっと遠くって、どのくらい?」
「たぶん地球を何個か並べたくらい」
「地球って、外から見たことないから、大きさ、よくわかんないね」
「そうだねえ、わかんないこと、たくさんだねえ」
そんな話をしながら、どのくらいおっきいのかは分かんないけど、やっぱり今日の月はまんまるだったね、と言いながら私たちは布団に入った。
1週間くらい経った日、父が宇宙の図鑑と地球の図鑑を買ってきた。
「お母さんに月のこと聞いたら、やっぱりよく分かんなかったんだって?」
「うん、分かんなかった」
「そっか、じゃあ全部はこれを見ても分からないかもしれないけど、ちょっとは分かるかもしれないから、読んでごらん」
「ありがとうっ!!!」
私は嬉々として受け取って、小学生には少し重い図鑑を大事に抱えて早速自分の部屋に向かった。
1ページ目をめくる。
真っ黒い宇宙の中に真っ青な地球がしんと静かに浮かんでいた。
私が見ている大好きな海は、私が知っているよりもずっと深くて透き通るような青だった。
ページをめくると、地球の半分は暗くなっている。
これが、夜。
私は夜を見たことがなかった。
私は夕方、日が沈み始めたなあと思っていると、気がつけばいつも夜の中にいた。
私は夜の中で、夕食を食べたり、眠ったり、そんなことはたくさんしてきたけれども、夜を見たことはなかった。
すごい。
宇宙って、すごい。
今まで今目の前にあるものを図鑑で調べることはよくしてきたことだ。
知らないことを知った時、私は「へえー! そうなんだ」とその度に、新しいものを知れたということにワクワクした。
だけど、図鑑を読んで、こんなにも美しい写真は見たことがなかった。
宇宙なんて、地球なんて、大きすぎて、手触りがあるような学びではない。
けれども、圧倒的に綺麗で、底が見えなくて、私は今まで手に取ったどんな図鑑よりも衝撃を受けた。
小学校1年生くらいだ。
「美しい」なんて単語は使っていなかったと思う。
あの時、私が感じた衝撃。
打ちのめされたような気持ち。
吸い込まれるような感じ。
あれこそが、「美しい」という言葉の意味なのだろう、と20年たって気がついた。
どこまでも広がる真っ黒な宇宙は、そこかしこに漂う星のあかりを頼りにするにはあまりにも心細く、あまりにも広かった。
どこまでも深い黒に、私は空恐ろしい気持ちになった。
だけれども、その中できらめく地球の青さに目を奪われずにはいられなかった。
本当に美しいものには、少しの恐ろしさが入っている。
底知れぬ恐ろしさの中に、何か圧倒的な生命の気配を感じた時に、私たちは「美しい」と打ちのめされ、言葉を失うのだろう。
その図鑑は、専門的なとても難しいというものではなく、子供にも分かるような平易な言葉で写真について説明が書かれているような図鑑であった。
土星の輪っか。
あれは輪っかではなく、たくさんの石なのだという。
星も生きているらしい。
宇宙にはガス雲というもやもやした場所があって、そこで熱のエネルギーが生まれて、原始星という星の赤ちゃんが生まれる。そこでは水素なんかがエネルギーとして燃やされて、星は光っている。ガスみたいなものが星になって重さが重くなると、宇宙には重力がないから周りの軽い石ころみたいなやつもどんどん重い星に引き寄せられてくっついてしまうのだそうだ。月にあるウサギみたいに見えるあのボコボコも、月にたくさん石がぶつかってできた跡なのだ。
そして、星には「自分で光っている星」と、光っている星の光を受けて「光っているように見える星」がある。太陽なんかは自分で光っている星で、月は光っているように見える星だ。
私はぜんぜん知らなかったけれど、その「自分で光る星」はいつかしんでしまうらしい。
自分の中で燃やすエネルギーがなくなって、すっごい大きい星は超新星爆発というものでしんでしまうのだそうだ。
けれども、その爆発はまた、次の星の赤ちゃんを産むガス雲になる。
だから、本当に何もかも消えてなくなっちゃうという訳ではないのだそうだ。
図鑑の最後にはこうも書いてあった。
そして、その星のかけらは私たち人間も作っていいます。
もしかすると今、となりにいるひととあなたは、ずっと昔になくなってしまった同じ星のかけらでできているかも知れません。
そうなのか。
宇宙ってすごいな。
星ってすごいな。
今までたくさん知らないことを調べてきたけれど、知らないことがたくさんだ。
宇宙のことを知るにつれ、いろんなことがつながっていくようになった。
小学生から中学生へ、歳を経るにつれ、その気づきは増えた。
星が生まれる時に、水素がたくさんあった。
宇宙で一番多い原子はH出そうだ。
地球ではOもとても多い。
ああ、なるほどH2Oか。だから地球にはこんなにも海がたくさんあるんだ。
遠くにあるまるで関係のないようなことがつながっていく感覚は楽しい。
ある日、理科の授業で先生がニュートンについて雑談をしていた。
ほんとにニュートンが言った話かっていうことは置いといて、「りんごが木から落ちるのをみて、ニュートンは万有引力を発見した」という話があるよね。
あれが、本当だとしてニュートンがすごいのはさ、りんごが地面に落ちるのを見たら、普通の人は「地面もしくは地球にはものを引っ張る力があるのか?」って考えるよね。でも、ニュートンは違った。地球にものを引っ張る力があるのだとしたら、月も落っこちてきちゃうんじゃないか? なんで月は落ちてこないんだろうって考えたんだよ。その結果、彼が思いついたのが万有引力なんだね。あらゆるものには互いに引き合う力があるってね。
ちなみに、その引き合う力は質量が大きい方が強いんだ。
そっかあ。
なるほどねえ。
じゃあ、先生と私は引き合ってはいるけれど、先生の方が体重は重いから、宇宙に行ったら私が先生の方に引き寄せられれて行っちゃうのか!
私は先生の横顔を眺めながらそんなことをぼんやりと考える。
大発見、というものはニュートンの万有引力のように、一見遠くにある関係のなさそうなことを一つ、普遍な理論で結びつけた時に起こる。
人は、そういう発見をした時、へええーーーー! と心底びっくりして不思議と爽快な気持ちになる。
知らないものを知る。物事の法則を見つける。それは人類共通の喜びの一つだ。
最近、文章を書くようになった。
文章を書く楽しさは、ニュートンが万有引力を見つけた時に似ている。
何か書きたいものを見つけた時、それは私が、その「何か」になんらかの法則や気づきを見出した時だ。
なんであんなにもシェイクスピアが流行ったのだろう。源氏物語が流行ったのだろう。ああ、そうか、恋愛結婚というのは昔はなかなか難しかったんだな。今も昔も、みんな恋がしたかったんだ。
じーちゃんと私って考えてることに共通点とかなさそうって思ってたけど、明日もなんか楽しくしてやるぞ! ってわくわくする気持ちは一緒だな、とか。
昔の人の恋い焦がれる気持ちと今の人の恋。
じーちゃんと私。
一見遠いものを繋げる作業は、とても楽しい。
その華やかな対比の中には刹那的な美しさを見つけた。
私たちは宇宙の中で、知らないことがたくさんある中で、それでもどうにか自分の生きるその世界を自分の手の中に収めようと、毎日毎日いろんな形で切り取ろうとする、理解しようとする。
きっと文学も音楽も華道や書道、柔道といった、何か道のような気の遠くなるような作業は、人類が昔からなんとか、その素晴らしい世界を理解しようとしてきた壮大な試行なのだ。
理解しようとする力。
知りたい、と思う力。
これは私たち人間の底知れない素晴らしいエネルギーだ。
今日は5月みたいな陽気だ。
私は今、家の近所の川沿いを歩きながら、2月の終わりの、この5月のような陽気のやさしさを、風の感じを、どうにかして自分の中にとどめたいと思う。
生きている限り、私はいつだってそう思い続けるだろうし、そう思い続ける限り、普段暮らしている世界の中に、素敵な法則を探し続けるだろう。
***
これからもブログの場で、愉快な記事も、ちょっぴり真面目な記事も、気ままに書いていこうと思います。
ゆるっと読んでくださればうれしいです。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。
そうだ! 新しい趣味…盆栽やってみよう!(表参道編)
あ〜、今週も疲れたなあ〜
12時…
そろそろ寝るか!
そんな時である、まさに眠りに入ろうとする、ああ、明日は休みや、起きなくていい…幸福度120%の時間を正面からぶち破ってきたのは一本の電話であった。
「もしもし…?」
「……」
「あれっ?」
切れちゃった…。
なんや、一体!
眠い気持ちも切れちゃったやん!!!
そんな時、電話の主からLINEが入った。
グッ、じゃねえよw
なに爽やかな感じ出してんだw
みなさま、ようく見ていただきたい。
送信時間、23:53。
そう、23:53。
誘います? こんな爽やかに誘います?
しかも…
聞いて驚け、これが、なんと…
なんと!
大学卒業以来、4年ぶりの会話。
なんという横暴さ、なんというジャイアン!!!
しかも、このLINEの主は、後輩である。
2個下の後輩にこんな扱いをされる私……。
一体、人様からどんな人間だと思われているのであろうか…
あまりの気さくなお誘いに世間の目まで気にし始める始末である。
そんな中、突如奴からの連絡はプツリと途絶え、次の日の朝、唐突にこんなメッセージが届いたのである。
興味ありませんかね…?笑
笑 じゃねえよ!!
とんでもねえ急展開。
夜中の12時に眠気を叩き切られこの提案である。
なんて日だ!!!
落ち着いて考えてみよう。
まさに私は昨日、「人様から一体、どんな人間だと思われれているのであろうか」と
悩んでいたところである。
そして、なかなかそういったことに対する率直な意見というのは、人間関係がある手前、聞きにくいし、言いにくい。
そこで、このメッセージだ。
「盆栽にはご興味ありませんかね?」
「ほなみさんなら、興味あるかなと思ったんですけど」
なーるほど!
私はそういう人間なのだ。
奴は大学のサークルの後輩である。
私は
大学時代はロックバンドをコピーなどしていた。
大学時代は金髪だった。
大学時代は酒を飲みまくっていた。
大学時代は道端で寝たりしていた。
そう
そんな私の姿を見て奴は「盆栽に興味がありそうな人」だと思ったのだ。
ちなみにこれを書きながら聞いてるのは最近ハマっているリップスライムのpopcornNancyである。
この曲はゆるりと踊りたくなるので是非ともオススメしたい一曲である。これを教えてくれたのもまた別の後輩であるが「ねー、ほーちゃん、今暇〜?」などと言ってくるような奴である。大変けしからん、と思う次第である。
いささか脱線してしまったが、そのような私の大学時代の姿をみて有り余る侘び寂びを感じたのであろう、奴は言ったのだ、「盆栽に行きませんか?」と。
しかし、考えてもみて欲しい。
もし私が
「ほなみさんって、いっつも牛丼食ってそうですよね」とか
「ほなみさんって、休日基本寝てそうですよね」とか
「ほなみさんって、梅酒漬けること以外、趣味無さそう」とか
そんなことを言われたら、少なからずしょぼりんするところである。
確かに奴とは、生まれてこのかた一切、盆栽トークなどしたことがないし、むしろ大学時代は「ウェーイ!」とか「なーんで持ってるの! なーんで持ってるの! 飲み足りないから持ってるの! ハイ!!!」とか「ウェーイ…」しか言ってなかったのにも関わらず「盆栽、好きそう」と言っていただけたことは大変な感謝なのである。
なので、私は勇んでこう答えたのだ。
「盆栽、行きたい!!!」と。
そうこうして、私がもう一人、この人こそ盆栽!というやつを見つけ出し、後輩と3人で盆栽教室に向かったのだ。
場所は表参道。
私たちは久しぶりの表参道の雰囲気にあたかも自分たちもオシャレさんになれたかのような素敵な気持ちになりながらうきうきと歩いていた。表通りから一本入り、路地をくねくねと歩くと目的の場所が見えてくる。
一見、普通のマンションだ。
エレベーターに乗り、目的の階を押す。
ぐーん、扉が開くとふかふかの絨毯が広がっていた。
「え、ほんとにこの部屋かな…?」
恐る恐る後輩を盾にしながら、(後輩が)呼び鈴を押す。
「はーい」
20代後半、もう少し年上だとしても30代前半にしか見えないような素敵なお姉さんが顔を覗かせる。
「あのう…、体験できたんですが…」
「はいっ! お待ちしてましたっ!」
こんな顔をしたお姉さんがずんずんと教室の中を案内してくれる。
とにかく優しそう、それが伝わってくれたらそれでいい。
「では、席に座ってくださいねー」
私たちの席には、私たちの他に素敵なマダムがいた。
お姉さんが説明していく。
今は冬なので、冬でも元気に育つ子を用意させていただきました!
− ほほう。
まずは根留めの針金を鉢にセットしますね!
− ふーむ、これで松が転げないようにするのね。
そして、目の荒い土から順番に鉢に入れていきます!
− 土、触るの久しぶりだなん。なんだか触り心地いいなん。
次に根っこをほぐしていきます。こんな風にプラスチックのケースをとって根っこの土を落としていってくださいね!
− お姉さんはそう言いながら、クロマツのトゲトゲをとても愛おしそうに撫でている。松のトゲトゲって撫でられるものなんだね。
そして、手で概ねの場所を鉢の中にセットし、さらに土を入れながら箸で土をさしてきちんと松とヤブコウジをなじませていきます!
− お姉さんは、「おや? こんなに力強く持っていい?」というほど力強く松たちを持ち、作業を進めていく。
はいっ!これで大体は完了です。ここから仕上げです。鉢の土の表面に苔をはっていきましょう!
− 私たちは苔を渡される。そもそも苔を渡されるの初めてだし、なにこれ、苔、気持ちい…。しっとりジューシー、素敵な触り心地である。
この苔の根っこみたいなのは切っちゃっていいんで!
− ほほう! 苔をハサミで切る! なんて不思議な感触! しかも一つ一つ手で苔をはってくと苔が愛しくなってきた。私は思わず、「苔、可愛い…」とつぶやいた。
するとお姉さんが
パンパカパーン!
「そうでしょう! そうでしょう! 木とか苔とか可愛いですよねっ!」
ズーン! と近寄ってこられた。
お姉さん、本当に植物を愛しているんだね。
そんなこんなでお姉さんに教えてもらいながら私が作ったのはこんなものである。
うふふ。
あの苔の感触を思い出すと愛情が募ってうふふ、となる。
ちなみにこの写真を友人に見せるとよく「手前のイルカはなーに?」と言われるが誤解しないでほしい。「トリさん」である。
お姉さんが「酉年なので一緒に写真撮りましょうね」と置いてくれたトリさんなのである。バカにしないでほしい。
お姉さんはその後、この盆栽の手入れ方法をおしれてくれた。
クロマツはここでこう剪定するといいんですよ。
ヤブコウジは…
といった具合である。
とりあえず、今植えたこの子たちはお日様が大好きなので、ベランダなど風通しがよくて日のよく当たるところに置いてあげてくださいね!
ここで突如素敵マダムの様子が豹変する。
「わっ、私…」
「どうかなされました…?」
「私のマンション、窓はあるんですけど、開かないんです…。この近くなんですけど…」
なにっ! この近くで窓が開かないマンションなど、超高級、ブルジョワマダムではないか!!!
マダムは続ける。
「あっでも、犬のお散歩をするとき、外に出してあげればいいかしら…」
マダムの犬の写真を見せてもらう。
とってもかわいいパピヨン。
私は想像する。おそらく50代は過ぎているであろう、しかし、肌もツヤツヤでどことなく品のあるこの素敵なマダムが片手にパピヨンのリード、片手に盆栽を携えてお散歩する様を。
「多分、それ、すこしだけ、面白すぎると思います…」
私たちはおずおずと切り出した。
お姉さんはひとしきり私たちのやりとりを聞き、5秒ほど黙った後、私たちのやりとりを「うふふ〜」と超絶テクニックでなかったことにした。
お姉さんは説明を続ける。
植物は季節季節で変わっていくのでお手入れの方法でわからないことがあったら、いつでもお電話してくださいね。
あっ!!!
でも! 今の時代、基本Googleで検索すればなんでも出てくるので「クロマツ 手入れ」とかで検索してみてくださいねっ!
お姉さんスマイルで、彼女は快活に告げる。
Google www
私たちはいっぺんにこのお姉さんの虜となったのだった…
なんという商売っ気のなさ…
なんという植物への愛情…
これを癒し系マーケティングと名付けよう。
そのものへの計り知れない愛情を感じて思わず「また来よ…」と思わせちゃう凄まじい破壊力を持っている。
本当に、植物が大好きでたまらないんだろうな。
私たちは、各々の盆栽を携え、表参道に颯爽と飛び出したのでした。
お姉さんの素敵な人柄も相まって、私たちの心はほこほこです。
ちなみに私たちのいった盆栽教室はここ。
さらにちなみにいうと、私がブログで好き勝手に紹介してる素敵なヒト・コトは単純に私が日々で出会ったものなので、特に宣伝とか、お金もらってるとかじゃないんですけど、お散歩のアイディアになればなあ〜と思って載せてます!
現代の人の毎日って、とっても忙しい。
他人同士が、密着して立つって異常だけれど、毎日満員電車に乗る。
人間が元々持ってる五感に対して、すこし無理をしているから、私は通勤退勤ラッシュには必ず音楽を聴いていないと辛いです。
だけど
盆栽さんが家に来てからというもの、忙しい日が2、3日続いた時でも
「あっ! 盆栽に水あげなきゃ!」
そんなことを思います。
あの木や苔さんがシワシワになってしまっていると思うと、早く帰らなきゃ!となります。
そして、植物ってとっても強くて、どんなにしんわりしていても水をたくさんあげると次の日にはシャキン!!!としていてその姿を見るたびに元気をもらえます。
盆栽のことをふと考えるとき、私は頭じゃなくて五感や心で考えているのだろうと思うのです。
みなさん、年度末でバタバタと毎日が過ぎていきますが、そんな日に、表参道のあの場所は、素敵な息抜きを与えてくれるかもしれません。
ということで、みなさん今日も心の盆栽育てましょう〜!
そうだ!「スタバでMac」に迎合してみよう!(中目黒編)
学生の頃、スタバでMacを開いてる人を見ると
「なんや! スカしやがって!(僻み)」とこっちも負けじとスカしておりました。
けど、最近は「ええやん! なんかそれで気分上がるなら積極的にやってけばいいやん!」と、高速手のひら返しを見せつけ、自分もスタバでMacをカタカタしたりしてるのです。
が、ここに至るまでは「あっ、このままじゃ解脱しちゃいそう!」というささやかな危機感がありました…
つい最近まで住んでいた社宅は遊びに来た友達に「ばあちゃんち」呼ばわりされ、挙句には私本体まで「ばあちゃん」と呼ばれるような摩訶不思議ハウスでした。
築40年以上、団地仕様、畳に、押入れ、台所の扉の窓は植物の模様が入ったすりガラス、風呂はガス釜(置き型タイプ)、牛乳瓶受けもついてるよ…
しかし、そんな家ですが、なかなか清潔にリフォームされていて、高台にあるため、夏は風が吹き抜けて結構私本人として気に入っておりました。(夏にクーラーの効いた畳の部屋でゴロゴロするの、結構好きだった)
しかし、ここで一つ問題が。
春が来れば、梅酒をつけ、冬がくれば鍋をする…そんなおばあライフを謳歌していると加速度的に「なんか楽しいことしたろ!みたいなエネルギー」というか、そもそも「外出しよ!」という気持ちさえなくなっていくのです。
なんというか「心のワクワクアンテナ」のようなものも弱まっていくような気がしました。
中野に住んでた頃はよく飲みに行ったり、美術館行ったり、いろんな街行ってたのになん。
そんな訳で、「そうだ! せっかく東京にいるんだし思いっきりオシャレな街に住も!」と思い立ち、東急東横線沿いに引っ越して来た訳です。
「ワクワクアンテナ」を維持するために、無駄に表参道の美容室に行っていましたが(梅酒ばあさんを20代につなぎとめる唯一の命綱)、東急沿線のすかしっぷりは表参道をしのぐ徹底ぶりでありました。
本当は川のこちら側、渋谷寄りの祐天寺や学芸大あたりに住みたかったのですが、現在の私の社会人レベルではかなりエキセントリックな家に住まざるを得ない状況でした。
そこで、川の向こう側に住んだ訳ですが、ここも東急には違いない。これから東急楽しむぞ!私はうきうきしておりました。
そんな中、名古屋から友人が久しぶりに帰ってくるというので、「中目に行こう!」と勇んで声をかけたのです。
通称中目、中目黒。
芸能人もよく出没するというオシャレタウン。
早速改札を出ると蔦屋書店が!
なんつーか、代官山や六本木の蔦屋とはまた一味違う。
店内でオシャレなバンドマンが演奏しちゃってるし。
一歩踏み入れた我々は思わず「すげえ…」とハモってしまいました。
ちなみに中目黒、高架下を大々的にリニューアルし、とても、いや、かなり、いや、超絶オシャレになっておりました。
オシャレ具合はこちらの公式サイトでも伝わってくるかと…
我々は嬉々としてオシャレなカフェに入り、「あ〜、わしら、オシャレやん」と「わしら、なんか、大人やん」と勝手に幸せ係数を高め合っておりました。
↑写真は入りたかったけど混んでて入れなかったおでん屋さん。悲しいから写真だけ…
夕食の時間になり、なんか「素敵な店行こう〜」(雑)と目黒川沿いに向かって歩いておりますと、なにやらまた小洒落た気配が…夜のオシャレな気配って照明がめっちゃ重要な気がしてます。照明プランナーになりたいです。
お店の前の人待ち顔の女性さえ、オシャレです。
私が勝手に「中目最高だわ〜」といたって中身のない感想をのたまっておりますと、「あれ! あれはオシャレ!? オシャレなのっ? これはもはや、オシャレなの?」と日頃名古屋に閉じ込められ、久しぶりにオシャレの風に当てられて少しだけおかしくなった友人が騒ぎ立てて来ました。
「おっ?」
通称中目、中目黒。
オシャレって行き過ぎるとわかりませんよね。
パリコレとか、私には難しいもの。
そんなこんなで私たちは素敵な店(食事も良かったけど店員さんのお気遣いが最高だった)で夕食を食べ、無事、ワクワクアンテナを高めることに成功したのです。
オシャレって、半ば自己満だけど、それはそれで毎日にやる気が出たり、気持ちが乗って作業が進んだりするなら、それでいいよね〜と思う今日この頃です。
自分がしあわせな心持ちでないと、なかなか人にやさしくもなれないですしね!(たんに私の心が狭いという説もある)
ちなみにこの「オシャレ」な記事は、オシャレの代名詞「串カツ田中」でホッピーを飲みつつ書いています。
そういう場所も大好きなのです。オシャレの極み。
大学時代の主たる生息地は高円寺の高架下でした。
それではみなさん、今週もゆるりと過ごしましょう〜。
今までなんども挫折してきたけれども三度目の正直… ブログ作りました!
三日坊主とはこのことか…
今までなんどもブログを作ろう!と暇を持て余した日曜日に思い立っては挫折してきました…
あれ?私ってこんなに継続するの苦手だったっけ?
オカシイナ…
自分で始めるって言った水泳も、書道も少なくとも10年くらいはやってきた…はず。
なのになんで続かないんや!
ああそうか!
なんかいまいち、書いたことによる反応とか自分の成長がわかりにくかったんだ!だから、なんかダレちゃったんだ!
と、去年の10月に天狼院に入ってから気がつきました。
天狼院は書いた記事のフィードバックがもらえるので、かなりモチベーションになるのです。
やっぱり初めて自転車を練習してたときだって、すこしずつ進めるようになるのがわかるから、それが嬉しくて続けられたんだものね。
26才、社会人2年目。もうすぐ3年目になります。
社会人レベルで言えば、コイキング的な弱さですが、なんとなく、ある日、このままじゃダメだ!といてもたってもいられず、書くことを始めてみました。
せっせと書いていると、ある日、高校時代の友達から「ブログ作りなよ!」、「せっかく書く習慣ができたのにもったいないよ!」と罵られ…アドバイスをもらいました。
んだ、んだ、と私は怯え、同意し、こうやってブログを作ってみることとなったのです。
とりあえず、ハードルを上げすぎるとそのあと険しくなるのでまずはこれまで同様、週1回を目指したいと思います。(すでに自分に甘い)
生暖かく読んでください。
まずはこのブログの使い方を学びます…
よろしくお願いします!